√episode:0 #08 本物よりも確かな物

私がトリゴノメトリクスに来て、
既に10年もの時間が過ぎた。



私と地球の彼に生活面での問題は特になく、

この10年で私達は過度なRGBの増殖を抑える

"≒(ニアリ・イコール)"を開発


何度か容体の変化を繰り返した浅黄も

幸い現在はこの免疫抑制剤により安定している。



10年間、この世界で行なえた事は、

地球人である自身の血液を用いて

トリガーである浅黄のRGBとの

遺伝子工学による相互間の整合性の研究


何から何まで瓜二つ

欠けていたのは地球人の医学であった。


私は彼にその胸の内を吐き出した。


そして彼に改めて私に何を望むのかを問う。



少しの沈黙が続き、彼がゆっくりと話し始めた。


それは彼らにとっては月並みな事で、

裏返せば、抱え切れない程の大きな悲しみでもあった。



彼が浅黄と暮らし始めた頃の話、

望む事なく人々に"女神"の様に扱われ

そして"魔女狩り"の如く

無罪の彼女に人々が裁きを行なった浅黄の過去


彼はこれから供に"人間"として生きる彼女に

純粋に幸せの喜びを与えたかったと言う。


我儘な気持ちだと彼は言ったが、

愛する普通の妻として家族を築きたかったそうだ。


それは彼よりも先に旅立つであろう彼女へ対して、

女性としての一番の幸せと共に

彼女に残して欲しい彼女の欠片であった。



「浅黄の子供が欲しい。」



尋常ではない。誰もが理解に苦しむ事だろう。

当然の事だ、彼が私に望む事は人道に反しているのだから。


でも私達は良くも悪くもドッペルゲンガーだ。


私もその同じ望みを地球の家族と叶えて欲しいと彼に伝えた。



彼女を騙しているのに変わりはない

しかし彼女を心から愛している気持ちに偽りはない


罪に罪を重ねて生きる運命の彼と私。


身勝手な欲望だと言われたら否定できない。


トレードしてまでも私達に出来る事は、

皮肉にも、どの世界でも出来る同じ事だった。



寝室へ戻るといつもの様に、

浅黄が可愛い顔をして眠っている。


すまん、今夜も待ちくたびれさせてしまった。


「心で気持ちを確かめ合う事のほうが難しい筈なのに…」


眠る浅黄を見つめながら私は思った。





-2年後-


私は屈託のない笑顔の彼女が好きだ。


過去は容易に消せるものではない。

しかしもう、私が心配する必要はなさそうだ。


思い上がりかも知れないが、

本当に幸せそうな顔をしてくれている。


身を潜めて暮らしている様な私達は、

二人で何処かへ旅をしたどころか

大きな街にさえ行った事がない


二人で行ける場所と言ったら、近くの砂浜ぐらいである。


でもこの時間が私には堪らなく愛おしい


夏になると家族連れで賑わう。

この時期は外出を控えているが、

ベランダから二人で微笑ましく眺めていた。


そう言えば、ここで初めて打ち上がる花火も見せた


戦火の音と間違えて怯える彼女の手を引っ張りながら、

恐る恐る目を開けた彼女のビックリした顔

本当に可笑しくって、今でも想い出す度に笑みが零れる。



愛しい人。



私はふと彼女に尋ねてみた。

「浅黄は両親の事は好きだったかい?」と。


過去の記憶を掘り返してはいけないとは思ったが、

故郷から知らぬ土地へ連れて来られ

彼や私との生活の中での心境が聴きたかったのだ。


彼女は想い返す様にゆっくり目を閉じながら微笑み、

とても大好きだった今でも愛していると答えてくれた。


そして彼女が幼い頃の想い出を話してくれた。


所謂、一般人の父が彼女の一族に加わった事で

最初は大騒ぎだったと彼女の母から何度も聞いたそうだ。


仕来りやご法度等は勿論お構いなしだったそうで、

"一族の最大の失敗"と罵られる中

はそんな父が面白くて大好きだったと。


夜こっそり父と住処を抜け出しては、

彼女の知らない世界の話を沢山してくれたそうで

今私が居る国、三音の素晴らしさや文化も教わったそうだ。


浅黄が彼を信じた理由が、自ずと少し判った様な気がする。



そして私は覚悟を踏み切る。


それは私が一番聴きたかった事で、

彼がずっと聴けなかった事



「浅黄、家族が欲しいか?」



晩夏の虫の音と、潮騒の音が静かに響く空間で

彼女は一瞬だけ顔を綻び、そして表情を固くした。


凛とした口調で先ず自身の身体の事を話し出すと、

次第に声を絞りながら、諦めと私への感謝の想いを口にした。


とても悔しかった。


私はそんな言葉を聴きたかった訳ではない。


今更そんな事、私は百も承知で聴いている。

私は浅黄を抱き締め、思いの丈の総てをぶつけた。



「君とずっと居たい、だから君との時間がもっと欲しい。
 君の父が君にしてくれた事、
 私も君との子供にさせてくれないか?」と。



恐らく今地球に居る彼はこんなに声を荒げた事は一度もないだろう。

偽物と気づかれてしまうそれでもいいと思った。



無様に涙を流す私の背中に彼女の温もりがギュッと走った。



大丈夫、覚悟なんて要らない

だって私達は共に"死"と向き合い

互いにこうして、同じ時間を刻んでいるのだから。



少しホッとした。

約束を果たせた事にではない。寧ろ更にを重ねてしまった


だが私は別世界の人間であり、

本来の彼よりも越えられない程のがあった。


紛い物でも少し本物に近づけた様な、唯それだけの気持ちにだ。


その後の少し他所余所しい彼女の態度が、

不謹慎にも微笑ましく愛おしい。


きっと彼女も同じ気持ちでありながら、

心の奥に閉じ込め、私達にずっと遠慮していたのだ。



生命科学に魅了され機械の様に動き

唯、欲望のために生きてきた瓜二つの私と彼

されど"人間"で、唯の"男"であった。


そして辿り着いた先は何の変哲もない、

生物としての本来の姿だった。



トリゴノメトリクスが教えてくれたんだ。


機械任せでは

永遠に答えは出せないという事を。